○手術○
2001年1月3日
おとうさんと、おかあさんが病院に面会に来た。僕は食欲も出て、トイレも普通になったから元気になってた。でも、毎日のように注射をされてたんだよ。ご飯もカリカリじゃなくて、缶詰の美味しいのをもらってた。結構快適な入院ライフだよ。
おとうさんと先生の会話
医 「だいぶ良くなってきましたよ。」
父 「元気そうなんですけど、やっぱり手術の必要はあるんでしょうか?」
医 「そうですね。原因が判らないと、また起きる可能性がありますし・・・。」
父 「そうですよね。いつ頃手術になりますか?」
医 「手術スタッフが揃う明日以降ですね。決まったらお知らせしますよ。」
父 「わかりました。宜しくお願いします。」
母 「明日も面会に来ても良いですか?」
医 「良いですよ。午後の方が、ゆっくり会えますよ。」
2001年1月4日
今日は、おかあさんが面会に来た。僕は昼寝していたところを起こされたので、少し機嫌が悪かったので、また、おかあさんは心配していた。
おかあさんと先生の会話
母 「手術の日は決まりましたか?」
医 「今、院長先生と検討中なんですよ。なるべく早いうちにと思ってます。
ゆっくりしていってくださいね。」
と行って先生は診察室から出ていった。
でも、しばらくして戻ってた。
医 「院長先生から電話があって、手術は今日の夕方にすることになりました。」
母 「突然で大丈夫なんですか?」
医 「大丈夫ですよ。」
母 「宜しくお願いします。」
おかあさんは手術の手続きをして帰っていった。また泣きそうになっていた。
僕は何されるんだろう。
その日の夕方、僕は麻酔をかけられた。手術って何だろうなんて考えてたら、眠ってた。
僕が手術されている間に、おとうさんが会社の帰りに病院に寄ってくれたらしい。
夜8時頃に手術終了の連絡が、お家に入ったらしい。やっぱり腫瘍みたいなものが有って、手術で全部とれたんだって。僕は、まだ寝ていた。
2001年1月5日
目が覚めたら、お腹に大きなハゲができててビックリした。動くと少し痛いかも・・・・・何でかなぁ。
午後になると、おかあさんが面会に来た。僕は、診察台から動けなかった。
手術翌日 診察室の診察台から動けない茶太郎 |
おかあさんと先生の会話
医 「腫瘍みたいなものは全部取れたんですよ。」
母 「どんなものなんですか?」
医 「見ますか?」先生は袋に入った物を持ってきた。「これですよ。」
母 「わりと大きいですね。これは何ですか?」
医 「病理検査にまわしますから、結果はそれからです。」
母 「腫瘍じゃないと良いんですけど・・・」
医 「そうですね。」
手術中の写真・・・ 茶太郎のお腹。 |
腫瘍の様なもの。 結構大きくてビックリ |
夕方、おとうさんが会社の帰りに面会に来た。僕は、結構元気になっていて動き回ってた。
「猫って回復力が早いなぁ。」と、おとうさんは言った。
2001年1月6日
また、おとうさんと、おかあさんが面会に来た。僕のお腹にあった物の、病理検査の結果が出たらしい。
病理検査の結果
組織検査報告書 ペット名:茶太郎
診断名:炎症に対する繊維性結合織の増生(Fibroplasia to inflammation)
所見 :やや多数のマクロファージ及びリンパ球の浸潤を伴い、やや粘液様
および硝子様変化を含む繊維性結合織が増生しています。
増殖細胞には腫瘍を示す異型性は認められていません。
補足 :腫瘍ではなく、炎症に対する繊維性結合織の反応性の増生です。
父 「癌では無いんですね。」
医 「そうです。何かの炎症が起きて、それに対して出来た物なんですけど、原因はわからない
んですよ。背中を強く打ったりしない限りは、そんなところ(膀胱の横)に出来たりしないんで
すけど。初めて診るケースなんですよ。」
父 「秋頃に保護したので、その前に何かあったんでしょうかね。」
医 「そういうことも考えられますね。あとは、回復を待つだけですよ。」
おかあさんは、凄く嬉しそうにしていた。僕も何となく安心した。でも、まだ、お家に帰れないのね。
「えっまだ帰れないの?」 2001年1月9日の面会 |
2001年1月11日
おかあさんが、僕のカゴを持って病院に来た。お家に帰れるらしい。おかあさんは先生とお話して僕をカゴに入れてバスを待っていた。そしたら、院長先生が通りかかって、僕たちを送ってくれると言ってくれた。院長先生の車はベンツだった。僕とおかあさんは後ろの座席に乗せてもらって、快適に帰ることが出来た。
久しぶりの我が家だよーん。僕のお気に入りがいっぱいある。おとうさんは、「京都出張」で留守なんだって。残念ね。
この日は、おかあさんと一緒に眠った。
退院したんだよ。 もう、こんな風にも座れるの。 |
こんなに大きなハゲができちゃった。 傷も大きいね。 |
2001年1月12日
おとうさんが出張から帰ってきた。僕は嬉しかったので、いっぱい遊んだ。そしたら、おとうさんの手に僕の爪の跡が、いっぱいついた。
2001年1月13日
ご飯を食べた後に、気持ち悪くなって吐いた。食べ過ぎなのかなぁ。元気なのにね。
お腹も壊しちゃったし・・・ 僕が退院してから、おかあさんは、僕のトイレの記録をつけるようになった。恥ずかしいなぁ。
この日から1週間くらい吐いたりしていた。
2001年1月27日
僕は、あまり吐かなくなった。それどころか食欲がどんどん出て、おかあさんを困らせていた。
今日は、久しぶりに動物病院に行った。レントゲンの検査と血液検査をした。レントゲンの結果は正常で、順調に回復しているらしい。でも血液検査の結果、「好酸球」の値が高いので治療した方が良いということになった。また、大きな注射と小さい注射をされて、薬をもらった。
僕は注射の時は、わりと我慢することができるらしい。褒められちゃった。
「好酸球」が高いと吐いたりするんだって。
○好酸球との戦い○
僕は、初めに行った病院でも言われたように、生まれつき血液の「好酸球」の値が高いらしい。
その症状としてあるのが
吐き気
口内炎
皮膚病
傷が治りにくい 等
でも、お医者さんと、おとうさんとおかあさんが、頑張って治療をしてくれた。
飲み薬、低アレルギー食のキャットフード、それにカーペット敷きは良くないということで、フローリングの部屋で暮らせるようになった。
1年近く病院に通ったけど、僕の「好酸球」の値は高めだけど安定している。今は通院していない。時々、おかあさんに口を開けて見られたりはするけど、今はとても元気になったんだよ。
これを、僕は奇跡の復活だと思っている。